いじめについて

最近クローズアップされているいじめについてですが、どうも論点がずれている気がしてなりません。


いじめ問題が深刻化している理由として、私が挙げる点は以下の通り。
1. 加害者がいじめていると思っていない
2. いじめる人の言い訳は、単なる自己正当化
3. 自己正当化の先にある責任転嫁
4. 討論・対策の殆どがいじめる人の視点
5. 信頼して相談できる人が居ないの真意を考えろ
6. 大人の責任転嫁


長いので、折り畳み。
理由1. 加害者がいじめていると思っていない事が多い
いじめている人に共通している事は、本人がいじめていると思っていない事です。
そんないじめている人に問いただしても「いじめていない」との返答が返ってくるだけです。
当然の事ですよね。
「いじめていると思っていない」んですから。
ここがいじめ問題の落とし穴の一つです。


理由2. いじめる人の言い訳は、単なる自己正当化
「ムカツクから」「自己中だから」等々。
いじめる人がいじめをする理由として色々と挙げられていますが、早い話自分を正当化する為の言い訳です。
極論、いじめる人にとって、いじめる対象は誰でも良いんですよ。
いじめる対象が居なくなれば、次のターゲットを探します。


理由3. 自己正当化の先にある責任転嫁
いじめる理由として「いじめられる人が自己中だから」等と言っていますが、
「自分達に強制的に合わせろ」と言っている自分達こそ、本当は自己中なのではないでしょうか?
また「いじめられる人が変わらなきゃ」とか「いじめられる人が強くならなきゃ」等という言葉を
よくですが、こんな事を平気で言ってくる大人がTVとかで堂々と喋っている所を見る度に、頭イカレてんじゃないか?と思います。
いじめる側・諭す側にとっては、殺し文句と思って使っているのでしょうけど、いじめられる側にとっては死の宣告に等しいですよ。
(まぁ、こんな事を平気で言う人の殆どは、いじめていた側の人間か、いじめられた事のない人間・いじめを見過ごしていた人間でしょうけど。)
むしろ、意識改革する必要があるのは、いじめる人・いじめられる人を諭す人です。


理由4. 討論・対策の殆どがいじめる人の視点
殆どの場合、いじめ問題の論議いじめる人の視点で語られている事がいじめ問題に進展が見られない大きな要因です。
そしてその間違った視点が間違って一般常識として広まってしまっている所です。
いじめる人の発言を当然の如く真に受ける(バカ)大人が多い
いじめられる人の救済のつもりが、実は「いじめる人の擁護にまわっている」のです。
残念ながら、いじめる人だけでなく、いじめが悪いと思っている人々の中にも、そう言う風潮が蔓延しています。
もう一度問います。
「いじめる側といじめられる側、どっちが被害者ですか?」


理由5. 信頼して相談できる人が居ないの真意を考えろ
いじめ問題を更に深刻にしている事が、いじめられる人にとって相談できる人が皆無だという事です。
その点について、教師や親・評論家が軽々しく「なんで、早く相談してくれなかったんだ?」なんて語っています。
相談できないのは「相談してもこのいじめは無くせない。」そう感じているわけです。
いじめられている事を相談をすると言う事は、「この人なら分かってくれる。助けてくれる。」と思って相談しているわけで、いじめられる人にとって信頼の証なわけです。
信頼していれば、必ず相談に乗ってくれているはずです。
裏を返せば、それだけ子供達が大人を信頼・尊敬・畏怖していないって事の現れですよ。
信頼できない人と話をするわけありません。


理由6. 大人の責任転嫁
....で、いじめが発覚したら、今度は大人同士(親・教師・学校・校長・PTA・教育委員会等々)で責任の押し付け合ったり、責任逃れ発言ですよ。
オマエラ、やる気あるのか?と。
「自分は悪くないからお前がヤレ」って、発想がいじめる人と同等だし。


いじめ問題だけでなく学級崩壊とか様々な問題を抱えている現代社会ですが、解決方法は至って簡単なんです。
要は子供に対して「大人が本気でぶつかっているか。」です。
如何に気配りをするかです。
子供達はなんだかんだ言って大人をよく見ています。